事件ファイル
探偵ケイシャとQ坂の「 」人事件
ケイシャの記録:Q坂で撮られていたもの
坂の街を調べるとき、私はまず「誰がどこに立つか」を見る。
傾斜は、人の足だけでなく視線の流れも決めてしまうからだ。
その日も、Q坂の上にある喫茶店「紅梅軒」の窓際で、いつものように坂を眺めていた。
ちょうどカップの残り香をたしかめたとき、視界の端にひっかかる影があった。
スマートフォンを片手にした男が、坂の途中で立ち止まる。
こちらに背を向けたまま画面をのぞき込み、ゆっくりとレンズの向きを変える。
そして、私の席のある窓をまっすぐ射抜くように構え——シャッター音を一度だけ響かせた。
やがて集まってきた目撃情報をもとに、彼がスマホを向けていた場所を地図に記していくと、点は静かに線へと変わる。
坂の始まりと終わり、曲がり角、少し高い視点——。
そこには、ブンキョウという街の「斜め」を読み解こうとする、奇妙な撮影ルートが浮かび上がっていた。
彼はいったい何を撮っていたのか。
そして、なぜその順番で坂をなぞっていったのか。
私は相棒たちとともに、男が立っていたのと同じ場所に立ち、思考を寄せる。
あの日、彼が残した写真と、これからあなたが撮る写真のあいだで、答えは静かに重なろうとしている。
Q坂に潜む「撮られていたもの」を見抜けるかどうかは——
坂の傾きを信じられるかどうかに、かかっている。
プロローグ
美しき坂の街「ブンキョウ」。
その中でもひときわ優雅な傾斜を誇る坂がある。
人々が女王(クイーン)のように敬意を込めて呼ぶ、その名も「Q坂」である。
坂をのぼり、ふと振り返れば、視界いっぱいにひろがる艶やかな斜面。
その角度、その伸びやかさに魅せられ、多くの人が足を止めてはため息をもらす。
坂の街・ブンキョウの中でも、Q坂は特別な存在だった。
名探偵ケイシャもまた、この坂に心を奪われたひとりである。
今日もQ坂の頂上にある喫茶店「紅梅軒」の窓際で、仕事仲間のストア警部と並んで、その見事な鋭角を眺めていた。
カップを傾けながら、傾斜のわずかな違いについて語り合う——そんな、いつも通りの穏やかな時間のはずだった。
そのときだった。
視界の前方に、スマートフォンを手にした男がふいにあらわれた。
男はQ坂の途中で立ち止まり、画面を一度だけ確認すると、こちらにスマホのレンズを向ける。
閃光が走り、シャッター音が店内にまで届いたかと思うと、彼はそそくさと坂を下り、その姿を消してしまった。
観光客にしては、あまりにも不自然な動き。
坂の全景でも、紅梅軒の外観でもなく、「どこか一点」を狙い撃つような撮り方だった。
その一瞬の違和感が、ケイシャの心に小さな棘のように残る。
そして、後日寄せられた“目撃情報”によって、あの男がQ坂周辺のあちこちで同じように撮影を繰り返していたことが明らかになる。
穏やかな坂の街に差し込んだ、わずかな影。
それは偶然か、それとも巧妙な仕掛けの始まりか——。
ケイシャは独断で、あの男の行動の真意を探ることを決める。
こうして、Q坂で「撮られていたもの」をめぐる奇妙な事件の幕が、静かに上がろうとしていた。
謎の始まり
その夜、街には小さなざわめきが広がっていた。
Q坂のあたりで、スマートフォンを片手にうろつく男がいるという噂だ。
彼がレンズを向けていたのは、どれも坂の街にとって大切な景色ばかり。
しかし、そこには人影も物音もなく、ただ「傾き」だけが写り込んでいた。
「坂の傾きにこだわる者として、このままにはしておけないな。」
紅梅軒に届いた通報を受け、ケイシャは男の足取りを追うことを決意する。
彼がスマホを向けていた場所をひとつずつ辿っていけば、
奇妙な撮影ルートの意味と、「撮っていたもの」の正体に近づけるはずだった。
こうして、ケイシャの頭の中には一枚の「思考迷路」が描かれはじめていた。
探索:街に残されたフレーム
事件の鍵を握るのは、「どこから、どんな構図で撮られていたか」である。
紅梅軒に届いた通報をもとに、ケイシャは男がスマホを向けていたという場所を地図上にプロットしていった。
坂の途中、電柱の影、ビルのすき間、欄干の上――
そこに共通していたのは、どれも坂の街にとって印象的な傾斜が写り込む地点であることだった。
写真フォルダに並んだ画像をよく見ると、フレームの中で坂のラインが少しずつ角度を変えながらつながっている。
ただの観光写真にしては、あまりにも整いすぎた「斜めの連なり」だ。
ケイシャと相棒たちは、男が立ち止まっていたのと同じ場所を順番にめぐり、
スマホのカメラを構えて同じ構図を再現していくことにした。
レンズ越しに見えてくるのは、肉眼で眺めていた時とは少し違うブンキョウの表情。
フレームに切り取られた坂の街をなぞっていけば、
やがて“撮っていたもの”の輪郭に、自分たちの影が重なっていく――。
ケイシャの観察メモ
撮影地点は、どれも「傾き」が画面いっぱいに広がる場所である。
レンズの向きは景色だけでなく、画面の中の「何か」を意識して決められている。
途中から外側ではなく、別のカメラが使われていた痕跡がある。
写真を並べると、坂のラインとある“形”が重なって見える瞬間がある。
男の足取りは、観光ルートというよりも、何かの「手順」をなぞっているように見える。
これらの写真は、単なる記録以上の「ある試み」の途中経過かもしれない。
終幕:街に残された影
事件が終わりを迎えたのは、ほんの一瞬の静けさの中だった。
坂の街をめぐる調査がひと通り終わった頃には、
通報にあった不審人物の姿も、いつの間にか人々の記憶から薄れかけていた。
残っていたのは、スマホの中に並ぶいくつかの画像と、
坂の上で小さく鳴るシャッター音の記憶だけだ。
ケイシャは、それらの写真をもう一度並べ直し、
フレームの端から端まで目でなぞっていく。
傾いた背景、画面の中のアイコン、わずかな身じろぎ――
見れば見るほど、そこには単なる風景以上の「意図」が滲んでいた。
それが「自分自身」をどこかに写し込もうとしたものなのか、
それとも、斜めの街そのものに姿を溶かそうとしたものなのか。
真相は、おそらくあの男だけが知っている。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
「レンズを向けた瞬間、その場所は少しだけ“舞台”になる。」
Q坂には今日も、人々がスマホやカメラを手に訪れる。
誰かが何気なく構えたその一枚が、また別の物語の始まりになるのかもしれない。
ブンキョウの坂道には、まだいくつもの“撮られかけた物語”が、静かに眠っている。